室町将軍家衰退と嘉吉の乱の真相
室町幕府の権威が失墜した事件の顛末を追う①
■不安定だった将軍の権力「籤引き将軍」義教登場
延元元年(建武3年、1336)、室町幕府が樹立された。しかし、南北朝の争乱は半世紀も続き、3代将軍の足利義満が南朝と北朝を合一し、終結に導いたのは明徳3年(1392)であった。足利義満は、明徳の乱で山名氏を、応永の乱で大内氏といった諸大名の勢力を削ぎ落とし、将軍権力の専制化に努めた。後継者となった4代将軍の義持は、守護らで構成される重臣会議(有力な守護がメンバー)を重視しつつも、父と同じく守護への抑制政策は継承した。
応永30年(1423)、義持は子息の義量に将軍職を譲ったが、義量は大量の飲酒がもとで、2年後に亡くなった。享年19。いったん義持は政務に復帰したものの、正長元年(1428)に病没した。ここで重大な問題が発生する。義持は自分が後継者を決めたとしても、重臣たちの支持がなければ、意味がないと考え、後継者を指名せずに死んだ。
将軍の掌中には政権運営の権利が完全になく、重臣たちの支持が必要だった。
結局、残された幕府の重臣たちは後継者をめぐり、厳しい判断を迫られることになった。そこで、重臣たちは僧籍にあった義持の弟たちを後継候補に定め、籤で次期将軍を選出することにした。一見すると、いい加減な印象を受けるが、実は決定を神の意志に委ねるというもので、神聖なる方法であった。こうして次の将軍に選ばれたのが、6代将軍・義教なのである。
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